メタバースを「仮想空間」と定義してはいけない理由
こんにちは。セガ エックスディーの野尻です。主にサービスの企画やUXデザインを行っています。
昨年から「メタバース」という言葉がトレンド化しはじめ、2022年にはより一層の盛り上がりを見せることが予想されますね。
その結果として世の中には「メタバースって何?」という疑問と、その問いに対するわかりやすい「答え」が出回るようになりました。
しかし、メタバースという概念は実際のところまだ、一言で説明できるほど成熟しておらず、それを無理に定義することは、多くの可能性を潰してしまうことにつながるようにも思います。
この記事では、メタバースという概念について、様々な有識者による、それぞれ異なる意見を整理することで、メタバースは(まだ)定義することができないということを逆説的に再確認することを試みます。
そのうえで、「メタバースとは〇〇な仮想空間のことである」という、最近よく見られる簡易的な定義へのアンチテーゼとして、Twitchのディレクター ShannPuri氏による「メタバースは”空間”ではなく”時間”のことである」という考えを紹介します。
最後に私なりの考えとして、「メタバースが”来た”時代」について、シンプルな5W1Hのフレームワークを用いて考察したいと思います。
メタバースはそもそも定義できない
メタバースはなぜ定義できないのか
メタバースという言葉自体は、米国の作家ニール・スティーヴンスン氏が1992年に発表したSF小説「スノウ・クラッシュ」が由来とされており、「高次の」を指す「meta」と、「宇宙」を意味する「universe」を組み合わせた造語です。とはいえこれはあくまで語源であり、現在はより抽象的な意味合いで、かつ多義的に使われています。
特に多い使われ方としては、「仮想空間」およびそれを提供するサービスを指すことが多いですが、これをそのままメタバースの定義であるとするのは拙速に感じます。メタバースはまだ明確な定義を与えられる段階ではありません。
なぜなら、まだメタバースは存在しないからです。存在しないものに共通の定義を与えるのは、非常に困難で哲学的な作業です。
以下で著名な識者によるメタバースに関する整理をいくつか紹介しますが、メタバースは一言で説明できるようなものではなく、また人によって重視する観点も異なることがわかります。
識者によるメタバースの整理
米ベンチャー投資家Matthew Ball氏
「メタバースの7要件」
ゲームデザイナー/起業家 Jon Radoff氏
「メタバースの7つの階層」
Roblox社CEO Baszucki氏
「メタバースの8つの特徴」
やはり、メタバースの整理方法は識者の間でも異なり、簡単に一言で定義できるようなものではないことがわかります。
なお、AppleとSpotify Podcastのテクノロジー部門別ランキングで1位を獲得している人気Podcast『Off Topic』のブログ記事でも、メタバースの定義は難しいということを以下のように述べています。
さらに言えば、メタバースという呼称自体もそもそも数年後にはなくなり、新たな名前がつけられているかもしれません。かつて「インターネット」が「インフォメーションスーパーハイウェイ」と呼ばれていたように。(これもOffTopicのPodcastからの引用です)
メタバースを無理に定義することへの懸念
メタバースという単語がここまで注目されているのは、テック業界各分野の様々なプレイヤーにとって都合の良いキーワードであることと、Facebook社の社名変更のニュースが大きいと言えます。このことは、日本における代表的なメタバース関連企業であるCluster社のCEO加藤氏が指摘しています。idiomorph 代表 / ambr CXOの番匠カンナ氏はTwitter上でこのことをよりわかりやすく図示されており、こちらも非常に参考になります。
最近では朝のテレビ番組でもメタバースについて取り上げられるようになり、より簡潔な説明が求められるシーンが増えています。
そういったときには一般に、「メタバースとは、たくさんの人がアバターの姿で集まり、コミュニケーションや経済活動を行っているバーチャル空間のことである」といった説明がなされることが多いのではないでしょうか。
多くの人に伝わるよう簡潔に説明することは決して悪いことではないですし、上記のような説明はおおよそ間違っていないかと思います。ただ、そういった簡易的な定義がコピーアンドペーストされるなかで、多くの人にメタバースという概念が矮小化して理解されるのではないかという懸念があります。
そこで、メタバースについて考えるにあたって新たな視点を提供するために、Twitchのディレクター ShannPuri氏による「メタバースは”空間”ではなく”時間”のことである」という考えを紹介したいと思います。
メタバースに関する新たな視点
「メタバースは”空間”ではなく”時間”である」説
紹介したいのは、以下のツイートとそれに連なるスレッドです。「メタバースについて、誰もが間違っている」とかなり挑発的な文言から始まっています。
詳細についてはぜひ元ツイートとスレッドをみてもらいたいですが、論旨としては以下のようなものです。
Shann Puri氏は、AIでいうところの「シンギュラリティ」に近い概念として、「メタバース」を捉えていることがわかります。
これはかなり特殊なメタバースの定義の仕方で、ツイートには大きな反響があったものの、主流の考え方とはなっていません。ですが、私はこの考え方には重要な示唆が含まれていると感じています。というのは、メタバースの定義について「それは何か?」と問いを立てるよりも、「どのような状態か?」と問うた方が有意義なのではないか、と思うためです。
定義を考えるより、”メタバースの時代”について想像する方が大切
「メタバースとは何か?」という問いに答えるのが難しいことは、これまで確認した通りです。また、この問いのもう一つの弱点として、その分野の専門家以外にイメージしづらいという点も挙げられます。上でも述べたJon Radoff氏「メタバースの7つの階層」などが典型的ですが、整理にあたって非常に広範かつ深いテクノロジーに関する知識が必要なため、多くの人にとって理解が難しいものとなっています(私もとても理解しきれてはいません)
しかし、メタバースの時代を真に迎えるには、一部のアーリーアダプターだけでなく、より多くの人の参加が必要なはずです。それも、ただのユーザーとしてではなく、現実世界においてそうであるように、主体的に世界を構築する一市民としての参加です。
そのためには、誰もが自分なりの考えをもち、イメージしやすいような問いが必要だと考えます。つまり、「”メタバースの時代が来た”といえる世界とは、どのような状態か」という問いです。
この問いへの回答は当然「○○な状態」です。そこに技術的な知識は介入の余地はありません。xRなどの空間コンピューティング技術も、NFTなどの分散化技術も、すべてその「状態」の実現手段に過ぎないからです。
世界の状態について整理するためのフレームワークは様々考えられますが、シンプルな「5W1H」の記法はひとつの手段ではないでしょうか。そこで次に、「”メタバースの時代が来た”といえる世界とは、どのような状態か」という問いに対する答えを「5W1H」の型を用いて私なりに整理してみたいと思います。
“メタバースの時代が来た”状態について5W1Hで考える
Who:非常に多くの人が
「時代」について考えるとき、主語は人になるはずです。旧石器時代は「人々によって打製石器が使われていた時代」であり、江戸時代が「人々が江戸幕府により統治されていた時代」であるように、メタバースの時代も「人々が○○する時代」と定義されることに違和感はないかと思います。そしてここで重要なのは、当然ではありますが、「人々」というのが「非常に多くの人々」を指すということです。つまり、一部のギークやゲーマーなどアーリーアダプター層だけではなく、より多くの、いわゆる大衆層が、メタバースと呼ばれる何かに大きく影響を受けていることが”メタバースの時代”の必要条件だと言えるでしょう。具体的には、現代におけるインターネット人口と同程度であれば、間違いなく「非常に多くの人々」だと定義できるかと考えます。
Where:バーチャル空間で、もしくはバーチャルと融合されたリアル空間で
「メタバース=バーチャル空間」という定義の仕方に異を立てるのが当記事の趣旨のひとつではありますが、メタバース時代を生み出すのはバーチャル世界の隆盛であることは間違いありません。
バーチャル空間は現実世界の再現に留まらず、人間の想像力と同じだけ、多種多様な世界が創られることでしょう。このような空間に、誰でもどこからでもアクセスでき、人が集まるという点が重要です。
また、バーチャル空間の可能性について考えるとき、あるひとつの空間にだけ注目していては不十分です。空間から空間の移動や、複数空間の重なり、時間軸との関係性など、現実世界とは大きく異なる体験や価値観が生まれることになります。メタバース時代を想像するとき、この点には十分留意する必要がありそうです。
(たとえば、VRプラットフォームの『Decentraland』で仮想の土地に4億円弱の値段がついたことがニュースになりましたが、瞬間移動が可能かつ土地リソースが存在しないバーチャル空間において「一等地」という概念は機能しない可能性もあります)
とはいえ、多くの人が24時間バーチャル空間で過ごしている状態というのは想像しづらくはあります。食料生産・インフラ維持・医療・育児など、バーチャルだけで完結できないものはたくさんありますし、リアル世界での活動も変わらず重要なものであり続けるでしょう。そんな中、リアル空間にはバーチャル世界での体験やアイデンティティが融合されることになるのではないでしょうか(この点については最後にもう一度掘り下げます)。
When:オン・オフ問わず非常に多くの時間
What:経済活動を含むオン・オフ様々な活動を行っている
バーチャル世界で生計を立てることができるようになれば、そこで過ごす時間は格段に増えることになります。そのため、主要な識者はみな大規模な経済圏の存在をメタバースの必須要件として挙げています。
生計の立て方について、REALITY社CEO DJ RIO氏の「サービス業が売れるようになってからが本番」という指摘は、納得感があり、イメージも膨らみます。もちろん、今あるようなオフィスワークをバーチャル世界で行ったり、バーチャル世界から遠隔でリアル世界に干渉するような形もあるでしょう。
また、趣味についても多くを包含する必要があります。Jon Radoff氏「メタバースの7つの階層」にもあったように、ゲームや交流だけでなく、映画や芸術の鑑賞・買い物、さらには読書やアウトドア(的体験)などもできるようになることで、オフの時間の大半をバーチャル世界で過ごすようになるでしょう。
Why:バーチャル世界、そこで過ごす時間、そこにおける自身のアイデンティティが、紛れもない実生活/人生の一部(あるいはもう一つの生活/人生)であると認識しているが故に
抽象的ですが非常に重要な観点だと思っています。つまり、メタバースはツールやゲームではないということです。zoomで行うオンライン会議とメタバースでの会議の違い。あるいは、『あつ森』で自分だけの家を完成させる行為と、メタバースでの住居生活の違い。それは、3DCGが用いられているかや、VRゴーグルを被っているかではないように思います。感覚的ではありますが、そこで過ごす時間が自分の生活の一部として溶け込んでいるか、そういった認知的な部分がメタバース時代の以前と以後を分ける分水嶺なのではないでしょうか。
「アイデンティティ」という観点も重要です。メタバース時代においては一人の人間が複数のアイデンティティをもつことになります。生来の体・性別・養育環境によって形成された一つ目のアイデンティティの他に、アバターを纏い異なる環境・異なる人間関係の中で過ごす中で、全く異なる新たなアイデンティティが形成されます。現代社会においても、職場における自分・家庭における自分・ネット上での自分といった形で、近しい現象は観測できますが、より大きく異なったアイデンティティが、よりリアリティを伴った形で一つの人間の中に共存するのがメタバースの時代だと言えそうです。この辺りについては、DJ RIO氏と芥川賞作家 平野啓一郎氏の対談記事が非常に示唆的でオススメです。
How:いわゆるxRデバイスをインターフェースとして
バーチャル世界や、それと融合した世界を享受するためのデバイスは、すでに多く存在します。アウトプット源としては、PCやスマートフォン、そしてVRゴーグルやスマートグラス。インプット源としてはキーボードやタッチパネル、リモートコントローラーに始まり、トラッキングデバイスやモーションキャプチャー技術など。将来的には、ホログラム技術やニューロリンク技術なども活用されるかもしれません。
5W1H まとめ
「”メタバースの時代が来た”といえる世界とは、どのような状態か」を表す、5W1Hでの説明を改めてまとめると、以下の通りです。
見返してみると、非常に抽象的で、何か言っているようで何も言っていないようにも見えますが、こういった大まかなイメージが前提となった上で、このような時代を迎えるために(またそのような時代において新たに)必要なことは何か?というのが正しい考える順番なのかなと思います。
素晴らしいメタバース時代を迎えるために
バーチャルとリアルの関係性
上記のような世界をメタバースの時代であるとしたとき、どうしても避けられない問題が出てきます。それは「人はバーチャルだけでは生きられない」ということ。(『Ready player one』では「現実だけがリアルだ」なんて言っていましたね)
「だからメタバースは来ない」と言いたいのではありません。むしろ、この問題を乗り越えることで「メタバースの時代が来る」のだと思います。
経済活動の中心がバーチャル世界に移ったとしても、 “Where”の項目ですでに述べたように、バーチャルだけで完結できないものはたくさんあります。食料生産・インフラ維持・医療・育児。他には建築・治安維持・清掃などもそうです。こうした産業の従事者と、オンライン上だけで仕事が完結できる一部のホワイトカラーの間に致命的な断絶があるような世界は「メタバースの時代」だとは呼びたくないところです。
また、そもそも医療や育児、介護などは誰もが通るライフイベントでもあるため、これらとバーチャル世界の間に断絶があるようでは、5W1Hの要件を満たすことが出来ない、とも言えます。この問題は、どのように乗り越えられるでしょうか。
たとえば育児。乳幼児のお世話に追われる時期には、VRゴーグルを装着する余裕がないという人が大半だと思われます。そんな時間を1年以上過ごしていれば、バーチャル世界で培った人間関係やアイデンティティが失われ、VRゴーグルを装着する習慣も失われていくかもしれません。
しかし、バーチャルの友人と協力して子育てできるような仕組みがあればどうでしょうか。遠隔で操作し赤ちゃんをあやせるモービルや、赤ちゃんの視力に配慮したディスプレイを通じてアバターで「いないいないばあ」ができるかもしれません。VRゴーグルを被らずして3Dアバターの友人とコミュニケーションをするために、テーブル上へのホログラム投影装置も役に立ち得ます。
建築は3Dプリンターを使ってミラーワールドから。通院はウェアラブルデバイスも活用して医者も患者もアバターで完結。食事はスマートグラスを通じてバーチャル上の友人と。(熟練のVRChatユーザーはVRゴーグルを装着したまま容易く酒宴を催すそうですが、それが一般的になるとは中々思えないところです)
そういった世界が訪れた時、真のメタバース時代と言えるように思います。
メタバースは私たち全員のもの
これだけの長文を使って何を主張したかったのか?
メタバースはディストピアだとか、真のメタバース時代の到来は遠いとか、そういったことではもちろんありません。むしろ逆です。
「メタバースは、xRやクリプト、ゲーム業界だけのものではない。私たち全員のものである。」
これが、私の一番言いたかったことです。
これまで見てきた通り、メタバースはまだ定義することさえ困難な、曖昧な概念です。一方で「”メタバースの時代が来た”状態」について想像を巡らせることは難しくなく、それは、正しく進めば非常に夢のある世界だと思うことが出来ます。
もう一つの身体とアイデンティティを持ち、物理的な制約から解放された世界。それは、すべての人の人生を豊かにしてくれるはずです。そのような世界の実現には、xRやクリプト、ゲーム業界だけではなく、あらゆる産業からのコミットメントが必要不可欠です。
メタバースを「仮想空間」とだけ定義してしまうと、私たちの生活にはあまり関係ないもののように映りますが、「時代」や「状態」という目線で捉えれば、自分事として想像を膨らませることができるのではないでしょうか。
メタバースという概念を、テック業界のものだと遠ざけたり、意識高い系のバズワードであると忌避するのはもったいない!この記事を通して、メタバースという概念に興味を持ち、考え、少しでも何か取り組む人が、少しでも生まれたなら嬉しいです。
執筆:野尻 昌仁|株式会社セガ エックスディー
コンサルティング業界で新規事業開発・ジョイントベンチャーの立ち上げなどを経験。現在はセガ エックスディーでプロダクトマネージャーとして、社会課題を解決するスマートフォンアプリやカードゲームを製作。
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