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新しいアイデアは「遊び」から生まれる?すべての企画屋さんにおススメしたい名著『遊びと人間』から考えるゲーミフィケーション

こんにちは。はじめまして。
えっと...ご趣味はなんですか?

筋の悪い初対面の挨拶みたいになってしまいましたが、ところでみなさんは、趣味といわれて何を思い浮かべましたか?
なぜあなたは、あるいは多くの同好の士達は、それに夢中なのでしょうか。

個人的な理由-たとえば「普段はデスクワークで座りっぱなしだから、たまに体を動かすのが気持ちいい」など-はすぐに思い浮かぶかもしれません。でも、もっと根本的な、誰にもあてはまるような理由はないのでしょうか。これを言語化し、ずばり言い当てるのは、なかなか難しいことかと思います。

人が夢中になっておこなう様々な、ある意味で非生産的な活動に共通する、何か大いなるパワー。
それについて考察することは、プロダクトやサービスを企画したり製作する機会のある、すべての人々にとって有意義なことのように思います。

フランスの社会学者カイヨワは、著書『遊びと人間』において、この大いなるパワーのことを「本質的で他に還元不能の諸衝動」と呼びました。
『遊びと人間』は、人間社会と切り離せない「遊び」という営みを深く分析した、言わずと知れた名著です。

このnoteでは、1958年に出版された本書の内容を、現代社会に生きる私たちの目線から読み解き、役立てることを目的とします。
私の未熟さゆえに誤った解釈も混ざってしまうかもしれません。ぜひご指導ご鞭撻いただけますと幸いです。

「遊び」4つの分類


早速ですが、『遊びと人間』のなかで最も有名で、最も重要な、ある図から紹介します。*1
「遊び」の本質的な要素を、4つのカテゴリに分類したものです。*2


図の通り、「遊び」の本質的な要素は「競争」「運」「模擬」「眩暈(めまい)」の4種類に区分されます。縦軸を意志/脱意志、横軸を規則/脱規則としたとき、各象限にちょうどマッピングされる形です。意志・規則に関する解釈は今回は省略し、以降、それぞれの要素について簡単に説明します。


競争

「競争」が「遊び」であるというのは直感的でないかもしれませんが、好きなゲームやスポーツをいくつか思い浮かべれば、多くに競い合いの要素があることに気付くと思います。
私には5つ下の弟がいるのですが、幼少期なかなか片付けをしない弟に対し、「どっちが沢山おもちゃを箱にしまえるか競争しよう」と言うと、たちまち自ら楽しんで片付けに取り組んでくれたものでした。
こういう例からも、競争が遊びになり人を動かすということがわかるかと思います。


「運」が絡む遊びは歴史上多くの人を夢中にし、時には狂わせてきました。コイン・サイコロ・カードなどは典型的に運が重要な役割を果たすゲームだと言えます。
運が人を夢中にさせる(あるいは、依存させる)力はあまりに強大であるため、社会は運の遊びを規制せざるをえないほどです。日本に賭博法があるのは、法で縛りでもしないと、社会が崩壊してしまうからです。
『遊びと人間』に挙げられている例では、1957年のプエルトリコ島の企画局による調査が驚くべきものです。なんと、当時各種の賭けに投じられている金額の総計は年1億ドルで、これは島の予算の半分にあたるボリュームでした。報告書ではこれを「疑うまでもなく重大な社会問題」であるとし、賭博取締法強化のきっかけとなりました。


模擬

「模擬」の遊びとは、端的に言えば何者かになりきることで、例としてはよくごっこ遊びが挙げられます。しかしこの理解では現代社会における適用範囲がかなり狭くなってしまうので、ここではもう少し抽象的に解釈した方がよいかと思います。
つまり、いつもの日常をおくる「自分」のことを忘れ、他の何者かになったように思える感覚、これを楽しむことが「模擬」の遊びです。
こう捉えれば、我々に馴染みのあるより多くの遊びに「模擬」の要素を見出すことができるかと思います。あらゆるフィクション、たとえば小説や映画は、主人公に共感し物語を追体験することに楽しみの源泉があり、これはまさに模擬の遊びです。また、SNSで匿名のアカウントを作り活動すること、ソロキャンプで俗世から離れたような気持ちになることも、模擬の遊びの一種だと言えるかもしれません。


眩暈

「眩暈」の遊びは最もイメージしづらいカテゴリなので、まずあえて原文ママの記述をひくこととします。いわく、「一時的に知覚の安定を破壊し、明晰であるはずの意識をいわば官能的なパニック状態におとしいれようとするものである。(中略)それらは、有無を言わせず乱暴に、現実を消滅させてしまう」。
具体例としてあげられるのは、ぶらんこ、ジェットコースター、お化け屋敷。また大人向けにはダンスとお酒です。
より広く解釈するのであれば、「人間の感覚器に直接訴えかける類のエンタメ」と考えてもいいかもしれません。ロックバンドのコンサートや、今流行りのサウナも当てはまりそうです。
また、パチンコは一見「運」の遊びのようですが、カイヨワ本人が「眩暈」の遊びであると断言しています。あの電飾と轟音を知る人であれば納得感があるのではないでしょうか。*3


アイディエーションへの活用


カイヨワは社会学者であり、『遊びと人間』も人間社会について遊びを通じて洞察することを目的とした書籍です。つまり、ゲームデザイナーをはじめとした、遊びをつくる人たちのために書かれた本ではありません。
とはいえ、サービスやプロダクトを考える際に、カイヨワが分類した「本質的で他に還元不能の諸衝動」の視点を加えることで新たなアイデアが生まれる可能性は多分にあります。

つまり、あるサービスやプロダクトに、この”衝動”を組み合わせるとどうなるか?と考えるのです。
これは、まさに私たちがゲーミフィケーションというキーワードを掲げて実現しようとしていることです。

たとえば、フィットネス。
フィットネス自体は健康のために行うものであり、多くの場合遊びではありません。それゆえ、ゲーミフィケーションの導入が昔から試みられてきた領域でもあります。
そのとき定番になるのが「競争」の遊びを加えること。例えばNike Run Clubでは友達と走行距離を競い合えるランキング画面が設けられています。このように、対抗心をモチベーションに運動を続けさせる仕掛けは、非常に多くのサービスで取り入れられています。


しかし、イノベーションが生まれるのは新たな組み合わせによってです。

ポケモンGOのヒットの理由はたくさん挙げられますが、フィットネスに「運」の遊びを加える、という発想からも生まれうるのではないでしょうか。行く先々でランダムに現れる様々なポケモンをきっかけに、毎日の散歩が習慣になったという話はよく聞きます。

また、2016年頃からコロナ流行までの間に急激に人気を伸ばした暗闇フィットネスは、明らかにフィットネスに「眩暈」の遊びを加えたものだと言えます。カイヨワ自身がパチンコを例に出したように、音と光は感覚器にアプローチする眩暈の遊びにつきものです。


全く新しいアイデアを生み出すのではなく、すでにあるものに要素を付け加えるのもよいでしょう。
現代のテレビゲームは、すべての要素が取り入れられていることも多いので、考える際の参考になりやすいかもしれません。*4

たとえば超人気FPSゲーム『Apex Legends』を参考に考えてみます。
基本的なゲーム性は敵プレイヤーとの打ち合い、ランクシステムなどに見られるように「競争」の遊びです。

しかしマップ中にドロップするアイテムやマップ収縮時の安全地帯の位置もそうですし、射撃があたるか・あたらないかにも結果的にはランダム性があり、運の遊びの要素も多分にあります(だからこそ、どのユーザーも勝ったり負けたりを繰り返すことになり、夢中でプレイしてしまうのです)

FPS(First Person Shooter)というのはその名の通り一人称視点でプレイするシューティングゲームの一ジャンルであり、このシステムはプレイヤーの没入感を高めることに一役買っています。またそもそもテレビゲームというのが、そのインタラクティブ性を根拠とした、より没入感のあるフィクション作品であるとも言え、この視点に立てば根本的に模擬の遊びであるとも言えます。

キー入力によって目まぐるしく変わる視界、激しい銃声と派手なエフェクト、こういった演出の魅力は眩暈の遊びに対応させることができるでしょう。


このように、4つの遊びは複数の要素を同居させることでより面白い体験につなげることができるかもしれません。アイデアを検討する際には、ぜひ参考にしてみてください。


4分類以外の視点


現代に生きる私たちの視点からは、遊びの4分類に当てはまらない事象も見つけられるかもしれません。もちろん、読み解きが不足しているケースも往々にしてあるでしょうが、書かれた時代も今とはだいぶ違うので、仕方ないところもあるように思います。

私が「カイヨワの時代から変化があったのかもな」と思うのは、「社会的欲求」と「遊び」の蜜月です。個人主義のますますの台頭・地域コミュニティの崩壊・インターネットの発達による社会的ネットワークの拡大などが、状況を変えたのかもしれません。

というのも、ゲーミフィケーションを語るとき、重要な要素のひとつとしてしばしば「ソーシャル性」が挙げられるためです。ランキングなどは「競争」の一部として扱えると思うのですが、社会的なつながりそのものが根源的な価値になっている遊びも多くあるように思うので、これがカイヨワの分類の中でどう位置づけられるのかが個人的に噛み砕けていないところだったりします。(パーティゲーム・協力ゲーム・”いいね”的な承認要素など)このあたり詳しい方がいればぜひご教授賜りたいです。

「遊びとは何か?」を現代に合わせて深く考えるには、他の論考をあわせて取り入れてみるのも有意義でしょう。『プレイ・マターズ』という書籍はPlayStation以降の事例も考慮し遊びについて検討されており、かなり面白い視点が得られます。

当note執筆にあたり読み返して気づきがあったのは、「遊びは攪乱(かくらん)的である」という記述です。これは、事態の破壊を意味します。

いわゆるバイトテロや飲食店での不適切行動をSNSにアップしてしまう心理がわからなかったのですが、「破壊が遊びになりうる」という視点を持つと「楽しいから」であると理解できるように思えました。もちろん、楽しいからといってやっていいことと悪いことがあるわけですが。*5

共通する部分のある事例として、同書ではアクティヴィズム・パフォーマンスの「Camover」が挙げられています。街中で本物の監視カメラを壊すことでポイントがもらえるという、犯罪行為にゲーミフィケーションを組み合わせた非常に問題のある事例ですが、これもまた破壊が遊びとなりうるということを示唆しています。

このように、必ずしもすべての遊びがカイヨワの4分類にきれいに着地するわけではないのですが、しかしアイデアを生み出す現場で取り入れるには十二分に役立つフレームワークになると感じています。ぜひ発想法のひとつとして取り入れてみてください。

当noteの筆者が所属するセガエックスディーは、ゲーミフィケーションという分野の研究とものづくり経験に強みのある企業です。

ゲーミフィケーションとは端的に言えばゲームのメカニクスの転用であり、さらに一般化すれば遊びを生み出す”衝動”の転用です。
本記事で考察したような、遊びやゲームに関する分析、またUXデザインへの活用について、日々知見をアップデートしていますので、よければnoteやtwitterもぜひフォローしてください。


注釈


*1
実は本文の中にはこの図は登場せず、図自体は日本語版の訳者解説において訳者が作成したものです。とはいえ本文内での主張を齟齬なくとらえ図示したものですので、カイヨワのものだと記憶してもさしたる問題はないかと思います。

*2
なお、同書では「遊び」の定義を以下のように定めます。が、今回の記事の趣旨からするとあまり重要でないので、ちゃんと理解しようとしなくても大丈夫です。

===
カイヨワによる遊びの定義

  • 自由な活動

  • 隔離された活動

  • 未確定の活動

  • 非生産的活動

  • 規則を持った活動

  • 虚構の活動

===
記事の趣旨に重要ではないと書いたのは、この記事をよんでいる方それぞれが、自身の取組むプロダクトやサービスに「遊び」の要素を取り入れたいと思ったのなら、それがすべてだと思うからです。
つまり、「定義によると、そもそもこれは”遊び”ではないのかな?」など考えず、まずは前述の分類を思考にどう役立てるかを考えてもらえばいいと思うためです。

*3
カイヨワは遊びの4つのカテゴリについて、組み合わせられるものと、相容れないものを明確に定義しています。具体的には、競争と運、模擬と眩暈のみが根源的な組み合わせ。競争と眩暈、運と模擬はありえない組み合わせと言っています。とはいえ、「つながっているのではなく、出会っているだけ」のケースについては認めており、紹介したゲームの例もこちらであると理解すればよいでしょう。

*4
編集より「ここでの破壊は、眩暈が近いのでは」という指摘がありました。これらは、確かに近いところもあるなとは思いつつ、本質的には別のものかなと考えています。理由のひとつは、能動的な破壊行為は「脱意志」的ではないこと。また、規則の破壊と「脱規則」は似ているようで別物かなと思うためです。校則が及ばないことを楽しむのと、校則を破ってみせる楽しみは、別のものに思えます。



執筆:野尻 昌仁|株式会社セガ エックスディー

コンサルティングファームでの新規事業立ち上げ・ジョイントベンチャー設立などを経て、2021年にセガ エックスディー入社。
コンサルティングスキル・事業開発スキル・ゲーミフィケーションの知見を組み合わせ、様々なクライアントと新たな価値を共創している。
また、社内でweb3領域の取り組みを推進しており、自身も様々なNFTのコレクターであるだけでなく、1stセールで300ETH程調達した国内大型NFTプロジェクトの運営にも参画している。

筆者Twitter:https://twitter.com/nojima_xd

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